REVIEW

小さな幸せを、幸せと感じられること ー「万引き家族」

2018-06-08

こんにちは!

先月、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝監督の「万引き家族」 

やっと時間をつくって観ることができました。

 

 

2004年に公開された同監督作品の「誰も知らない」でもそうでしたが、今作も同様で、希望を残すような物語ではなく、ドキュメンタリータッチで淡々と描かれていきます。なので、鑑賞後はいろんなことが頭の中をグルグルと回って消化するのに時間がかかりました。

一人一人が複雑なバックグラウンドを持っているため、身元が明確にはわからなかったりしたので、それもモヤモヤする原因だったかもしれません。

カンヌ国際映画祭という大きな舞台で評価されていながらも、バッシングも多い本作ですが、私なりに感じたことを書こうと思います。

 

 

拾われた少女・ゆりの存在から
家族一人一人の傷が浮き彫りになっていく

東京の片隅で暮らす5人の父親的存在である治 (リリーフランキー)が、近所のアパートの外で寂しそうにしている少女を見つけるところから、物語は始まります。

 

 

名前はゆり。家に連れて帰ってくると、彼女の体は傷だらけで、火傷やアザが次々とみつかります。

はじめは面倒なことになることを恐れ、元の家に返そうと話す5人。しかし、一緒に過ごす中でどこか昔の自分を見ているような気持ちになったのか、母・信代 (安藤サクラ)をはじめ、一人一人がゆりを守りたいという気持ちに突き動かされていきます。

彼らは、引き寄せられて行くかのように「家族」になっていくのです。

 

 

みるみるうちに、自分の感情をさらけ出すようになるゆり。子どもらしく大人に甘えたり、外で駆け回って遊ぶようになります。

心から信頼できる相手がいることが、人間らしく生きるためにどれだけ大切なのかを、ひしひしと感じました。

 

 

とくに、ゆりの歯が抜けるシーンは印象的でした。

 

歯が抜けることは、子どもにとって大きな出来事だったと思います。このシーンは、ゆりが家族の一員になって長い月日が経っていること、そしてゆりが紛れもなく成長している事を伝えるのにとても効果的だったと思います。

ちなみに、このシーンは元々脚本には無く、撮影中にゆり役の佐々木みゆさんの歯が抜けたことから、急遽追加したのだとか。

だからこそ、彼女の自然な表情を捉えることができ、ここまで心に焼きつくシーンになっているのだと思いました。ドキュメンタリー作家出身である是枝さんならではの演出ですね。

 

 

小さな幸せを、幸せだと感じられる、幸せ

印象的なシーンだらけの本作でしたが、特に覚えているのは祥太(城桧吏)が、信代とラムネを飲みながら帰るシーン。

なんの変哲も無い日常を切り取ったシーンなのですが、なぜか心に焼き付いているのです。

 

 

「お母さんって呼ばれて、うれしい?」

 

コロッケ屋のおばさんに「お母さん」と呼びかけられた信代に、祥太が問いかけるシーン。
それに対して、信代は照れ臭そうなはにかみを浮かべます。

このシーンを眺めていたら、私自身の家族や友達とのなんでもない日常がフラッシュバックし、幸福感のようなものが湧き上がってきました。

 

 

 

「小さな幸せ」は、私たちの生活に溢れているはずです。
それを幸せだと感じられるとき、私たちは確かな幸せの中にいるのだと思います。

同じことをしていても、それを幸せと思えない関係もありますが、もしそうなのだとしたら、そこに愛はないのかもしれません。

 

小さな幸せを、一緒に噛み締められる相手。

それが、家族であり、友達であり、「大切な人」の定義なのだと思います。

 

「私を拾ってきたのは、お金のためだったのかな」

 

 

松岡茉優さんが演じる亜紀もまた、複雑な生い立ちです。

初枝 (樹木希林)が彼女拾ってきたことから、二人は深い信頼関係にあります。 しかし、ある事件をきっかけに「自分の両親からお金をもらうために自分拾ってきたのではないか?」と勘ぐるのです。

たしかに、様々な手を打ってお金を稼がなければ、6人は生きていけません。
亜紀がそう思うは当然だと思います。

しかしその答えは、彼らの表情をみれば一目瞭然です。

 

 

「なんか、いいことでもあった?」

「もう、ただのおじさんに戻るよ」

「わかった。だけど、誰かに喋ったら殺す」

 

 

それぞれが口にする、愛する存在を想った言葉、そして決意。

わかりやすい愛情表現がそこまでなくても、スクリーンには愛が映っていました。

 

 

なぜ、この映画のタイトルが「万引き家族」なのか。

鑑賞後もなかなか腑に落ちませんでした。家族全員が「万引き」をしているわけではないし、この家族を表現する一要素でしかないからです。

でも、今ふと思ったのですが、彼らはきっと物だけではなく、お互いの心も盗んでいたのではないでしょうか。血が繋がっていないけれど、それぞれの痛みを共有している。

 

「お互いの心を盗み、繋がっている家族」

 

そういう意味なのではないか、と考えてしまいました。

彼らは、世間でいう「家族」ではないかもしれません。
それでも、大切な人との愛おしい時間がこんなにも美しいということ。
普段のなんてことのない出来事が一番眩しいんだという事を強く訴えかけてくる作品でした。

 

この映画を観終わったいまは、なぜか無性にコロッケが食べたいです。

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